どうやら夢ではないらしい

時間とは恐ろしいもので、あんなに泣いて絶望を覚えたあの発表から一週間が経過しようとしている。

この一週間、実生活に追われ、ワイドショーもセクハラの問題に移り変わっていた。きっとこんなにもほの暗い気持ちを持ち合わせてるのはファンだけで、そうでない人からすると「まだ引きずってるのか」なんて思われようことは想像に難くない。世の中は諸行無常だし。

 

そしてなんでまたこんな風に記事を書いてるかというと、いかんせん土曜日は一週間をまとめたニュースが多い。サタプラに始まりブランチでも会見の映像を見るたび泣いた。そのあとはもう何も見たくなくて再放送の相棒見てた。陸の孤島なので、民放4局中2局が相棒の再放送というぶっ飛んだ時間帯が存在するのである。

私はこの5日間で気持ちの落としどころを見つけたつもりだったし、そう思って過ごしていた。でも関ジャニが出演するものはほぼ避けていた。ご想像の通り、落としどころを見つけるどころか、現在進行形で落下しているのである。どうにも着地点は見えそうにない。

前回のブログではあまりTwitter上では見かけることのなかった『アイドルとしての彼を失いたくない』という話をした。それが伝わってるかどうかはまぁ別として。

あのブログは完全なる自己肯定の代物である。

ブログを書くことによって自分の気持ちを整理し、それが間違ってないと自分に思い込ませたかったのだ。

一週間、これは長いような短いような、人によって解釈が分かれる時間だと思う。きっとこの間に彼や彼らとの向き合い方を定めた方も多いだろう。

 

 

……いや、早くない?

 

え…?だって十何年やってきたんだよ…?

 

いや、早くない?

 

別に批判したいわけじゃない。もう覚悟を決めた人たちはめちゃくちゃすごいと思う。いや、すんげーと思ふ。

私は感情が長続きするタイプではないので、向き合い方は置いておいておいて、泣くこと自体は減った。ただ定期的にメンがヘラるので推しの過去に思いを馳せて泣くし、朝と将来が怖くて泣く。けどそれはずっとそうなので彼らは何ら関係ない。「とっとと病院にでも行け」と自分でも思う。

 

「まだ毎朝泣いてしまう。」「気づいたらずっと考えてしまう。」「ポエムツイートが止まらない。」

 全然いいと思う。だってそれくらい好きだったんでしょ。それでいいと思う。最後のやつに関しては後から冷静になって恥ずかしくならない程度にね。

「全然泣けない、薄情なのかもしれない。」「大好きなのに、冷たい奴だ。」

感情と泣くことがそんな簡単にリンクしないだけ。それはそれでいいと思う。私も昔はそうだった。 

 

この件について「私はこう思う」と声をあげれる人もいればあげれない人もいる。全部いいと思う。感情に正解も不正解もないし、思ってはいけないことなどはない。誹謗中傷だって思うだけなら許される。それを言ってしまうとなると話は別だが。

 TwitterというSNSに触れ、人の目に触れる感覚があるからなのか、あまりにも「まだ泣いてしまう」と悲観的な人が多い。

これはあくまで想像なのだが、考えて見てほしい。

自分のことを大好きと言い、いつも全力で支えてくれてる人たちが自分の退所によって泣くことを彼は否定するだろうか?

答えはノーだ。

もちろん応援してくれる人には喜んで感謝を伝えるだろう。けど、彼が彼自身を思って泣いてる人を否定するとは思えない。きっと困ったように「ごめんな、ありがとう」って言ってくれるのではないだろうか?

これはあくまでも夢女子の希望的観測でしかない、確かにそう。でもそれくらい夢を見れる程には彼は愛情深く、不器用でまっすぐな人だったように思う。

 

脱退するまであと少し、退所するまではもうちょっと先。

まだ時間はある、焦らず、これからの彼らを見守るしかないんだと、私は思う。

それならもう猶予期間である今は自分を肯定していたっていいじゃないか。だってモラトリアムだぞ、モラトリアム。

 

 

 

ということで私は3歳児の駄々っ子なので今日も「すばるくん行かないでよぉ~~~~~~!!!!!!!!!」と泣き叫びました。